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[自称・カワイイ]な輿水幸子が可愛くて、自称可愛いだけど可愛さのかけらも無い人がいるのは何故か。違いは何か考えた。
まず、当然ながら幸子は可愛いので、幸子が可愛いのは当然の事です。後者は知らん。
次に、幸子は自分のどこが可愛いとかそういう事は言いません。「ボクがカワイイのは、ボクがカワイイからですよ」とか言いそうです。可愛いですね。話がそれました。幸子は「輿水幸子=カワイイ」である理由や根拠を提示する事はありません。何故なら、彼女にとって「輿水幸子=カワイイ」は自明の理であるからです。なので、周りもいつの間にか「そういうもの」として「輿水幸子=カワイイ」を認めてしまうのですね。
対して、自称可愛い可愛くない人は自分の何処が可愛いとか何処が偉いとか凄いとか聞いてもいないのに言い聞かせてきます。論理武装です。素晴らしいですね。ただ、残念ながらその論理が周囲に受け入れられなかった場合、誰も幸せになれません。悲しいですね。それ以前に煩さのあまり「可愛い」からマッハで離れて行きますね。
そして、これに気づいた俺様は天才かも知れん。
幸子は「勃起しちゃうのはボクがカワイイから仕方が無いですね」、後者は「私は可愛いから勃起しちゃうでしょ?」と言う。ぶっちゃけコレじゃね?幸子はPの息子がコンニチハしてしまった理由として自分の可愛さを挙げるのに対し、可愛くない人は自分は可愛いから息子を叩き起こせというのだ。
幸子は現実に起きてしまった事象に対して「ボクがカワイイから」と理由付けをするのに対して、後者は「私は可愛い」という自分ルールを現実に押し付けてくるのだ。
正直に言えば、どちらもウザイ。が、幸子に関しては事実として息子が元気なので「そうですね」と言うしかないし、認めざるを得ない。対して後者は言うまでもない。おっきしていないのにも関わらず、「私が可愛いから勃起するに決まってる」という非実在勃起の話を始めるのだ。だから精神科への通院をお薦めしたくなるのだ。
まあ、やっぱり単に幸子は可愛いからってのが一番の理由何じゃないかなとも思うよ。